神社・寺・歴史

松前城跡


松前城の二の丸付近と言われる場所にある。

題額は、秋山好古、撰文は西園寺源透。

この場所に松の大木があり「龍燈の松」と呼んだ。嵐の夜には松明の明かりがまるで龍の目のように見え、帰港する舟の目安となった。

町の文化センターロビーに切り株が展示してある。

この城は賤ヶ岳七本槍で有名な加藤嘉明が築き関ヶ原の戦功で二十万石となり松山へ移った。


高忍日売神社

高忍日売神社は、産婆・乳母の祖神としてあがめられ、妊婦の信仰が厚い。

本殿は流造銅板葺で社宝に古文書・棟札・神楽面などがある。絵馬堂には四十七士の絵馬が掲げられ、本殿北側の楠の大木が互いに枝をのばし、まるで仲の良い夫婦のように見える。

自然が見せる不思議で、これを「連理の枝」という。


義農公園

義農公園は享保の大飢饉の時、あえて手元の麦種を食べずに家族も自身も飢え死にした義農作兵衛さんを祀った神社である。義農作兵衛さんの残した麦種のお陰で、多くの命が救われた。県指定史跡「義農の墓」では毎年四月二十三日に義農祭を行い、この尊い精神を言い伝えている。

 

この義農公園には映画俳優故高倉健や歌手の鳥羽一郎などの手植えの桜の木などがありトイレなども完備している。

 


晴光院

西暦807年、河野為世が伊予神社の別当寺として建立したという、広大な寺領を持つ大寺であった。微山和尚の補任状(薄墨の綸旨)、本堂の菊花紋章入り瓦などが高い格式を示す。

移築前の寺院跡から発掘された六地蔵尊は鎌倉時代の作だという。


伊予神社

延喜式内社。千鳥破風、唐破風で飾られた屋根の構えは壮大で長州大工が造った拝殿の彫刻の素晴らしさは有名である。

本殿の後方の森はうっそうとして、入ると祟りがあるとされた。

鎌倉時代作の五輪の塔があり、貴重な文化財が出土した。

 


二名神社

1600年に兵火で社殿、宝物、楼門などが焼失したが1606年松山城主加藤嘉明公の命により再興された。

境内には平若左近等の供養塔や石剣・玉・鏡が出土し御霊として祀られている



蛭子神社

松前町の本村地区にあり航海安全と豊漁を祈る古い歴史ある神社で、主祭神は大国主命の子神事代主命。

いざなぎ・いざなみが初めて生んだ神

昔「待ち居る先に来る者に幸を与えよう」とお告げになり、それ以来この地を待先と称したが、後に、正木、松崎、松前などと多くの表記が見える。

 


瀧姫神社

松前港の入り口を守る突堤に天保山があり伊予灘を望む景勝の地でここに瀧姫を祀るこの神社がある。

平安末期(1052年)京都の公家清原忠武の妹、多喜津姫が(瀧姫)罪を問われ侍女3人と共に流刑となり着いた所が松前の地であつた。

生活のため魚の商いを始めた。「おたた」は多喜津姫が転訛したといわれている。


金蓮寺

山門を入ると蝉の声が聞こえる。広い境内の寺。

加藤嘉明が松前城築城時に現在地に移した。義農作兵衛の菩提寺でもあり、昔からこの地方では大変なことがある時は」「大事金蓮寺」と言われ楠木正成や源義経の亡霊が出た話もある。


鷲野南村塾跡

南黒田にある鷲野南村塾跡

南村は郡中の沖荘介、宮内桂山に学んだ後、大阪の篠崎小竹の梅花社に入門。後、庄屋職を継ぐとともに「橙黃園」を開設し、青年教育に尽くした。

伊予郡内最高の私塾と称賛され、窪田節二郎、高市盛房、相原賢、橘東太郎ほか多くの偉人が育った。賴山陽との親交は有名である